遊戯三昧で生きる

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もちろん、人の力を借りずに、自分の「気」を充実させる法もあります。ある意味では、これは禅の考え方でもあるのですが、「遊戯三昧(ゆげざんまい)」ということです。

「遊べ」ということです。「仕事をしないで、なまけていろ」というのではありません。仕事に没頭するのはいいことでしょう。寸暇を惜しんで働き、あらゆる欲を犠牲にしても、ひたすら努力する。「いったい、何が楽しくて、そんなに仕事をしているんだ」といわれるかもしれません。

しかし、これは、プラス思考で、「楽しみ」としてやっていくべきなのです。それで、お金が儲かる、人より金持ちになる、その過程で、「よかった、うれしい」と喜びながら仕事をしているなら、それは、「仕事をしながら、遊んでいる」ということになります。これを苦難とか苦痛とか、「それに耐えるのは立派なことなのだから」と思ってやっていくのは危険です。

「モノポリー」という、双六のようなゲームがあります。サイコロを振って、ゲーム盤上にコマを進め、途中、資産の売買やレンタルによって財産を築き、いちばん、「金持ち」になった者が勝ち―というゲームです。値上がり確実なところに目をつけて、順調に不動産を増やし、それを抵当に入れてまた資産を増やしと、うまく運営していければいいのですが、すべて思惑どおりにはいかないところがゲームです。税金や罰金を払ったり、ときには刑務所に入れられることもある。もちろん、破産もあります。

「人生はゲームのようだ」といいますが、「気」を充実させるには、実際の人生も、このようなゲームのひとつとして、楽しみながらやっていくことです。そして、不遇なときは、「これは、ゲームの一過程にさしかかっているのだ」と思うのです。「この壁をぶち破って、もう一度軌道に乗って、金が儲かってきたときは、たぶん平坦な道を越えてきたときよりも、より大きな喜びが感じられるだろう」と見るのです。マイナスのときも、プラスのときも、常に楽しんでいくのです。

「遊戯三昧」の境地に遊びながら、自分の金儲けに邁進していくならば、肉体的にも精神的にも、休んでは働き、働けばまた休む―というように、自己コントロールできるようになるでしょう。

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