金のありがたみを知る空腹感

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現状にまあまあ満足している人、あるいは、「しかたがないか」とあきらめている人には、 「どうしても成功したい」という願望、ビジョンが欠けています。

「もっと金が欲しい。名誉がほしい」といった空腹感・・・しかし、快い空腹感が必要です。空腹感のあるなしを比べるのに、二宮金次郎が再建させた小田原藩家老の服部家の例をあげてみましょう。

自分の家の再興に成功した二宮金次郎は、服部十郎兵衛という1200石の家に招かれて、財政の建て直しをはかります。妻を家において、この家に住み込み、いわば再建専門の経営コンサルタントのような立場になったのです。まず、彼は、過去数十年に渡っての経済状態を徹底的に調べてみました。そして、この家の財政を立て直すには、帳簿の「貸方」「借方」の赤字をなくすだけでは、とうていダメだと気づきます。

まず、大家の武士ですから、服部家には、「金は汚い、卑しいもの」という感覚があります。金のありがたみを知らないのです。「二代目で傾き、三代目では乞食になる」などといいます。徳川家康は金のありがたみを知っており、莫大な財産を築きましたが、三代目の家光になると、日光東照宮の造営など、もっぱら金をぜいたくに使うことだけに専念しています。また、徳川政権が安定すれば、旗本や御家人たちは、給料をもらってブラブラするだけ。生産活動にはタッチせず、消費活動だけの生活でした。

武士に生まれれば、その生まれながらのポストに金がついてくるのです。赤穂では、塩田をつくっていましたが、武士たるもの、そのような金儲けは「卑しい」ものとしていました。幕府の経済政策といえば、参勤交代や江戸の土木工事など、ほとんど他藩に金を使わせることだけですから、結局みんな食いつぶしていったのです。江戸時代、何度も財政が破綻しかけ、たびたび倹約令が出ていますが、それでも、なんとかもっていたのは、家康があまりにも大きな財を残しておいたためでしょう。幕府は十五代かかって、やっとつぶれたということです。

さて、話は金次郎と服部家の話に戻ります。財政再建のために金次郎がまずやるべきことは、服部家の人々に金に対する観念を変えさせることにありました。「世の中、金がなくては生きていけない」という当たり前のことを認識させなければなりません。「それには、金に対する飢餓感、空腹感を生じさせることだ」と金次郎は思いました。金に対する空腹感を与えるというのは、金を得たときの満腹感、つまり金を持つ喜びを与えることです。

サムセット・モームの言葉に、「金には、ふたつの楽しみがある。使う楽しみと、貯める楽しみだ」というのがありますが、人は一方に偏向しやすいものです。ケチになって金に固執する人間も、使うだけで破滅していく人間もいるでしょう。空腹感と満腹感をコントロールすることが大切なのです。金次郎は、服部家の家族、家来、全員を集めて、一人ひとりに役目を与えます。主人夫妻食事も一汁一菜。着るものも木綿だけと決めました。禄高1200石でも1000石しかないものと自覚してもらい、また、家政に対していっさい口出ししないという約束をとりつけました。また、領地や家政の管理に当たっている執事に対しては、その収支をすべて金次郎のもとに出すことを命じます。

また、家庭内の灯火は女中に行なわせることにしました。女中を灯火ーつまり油の責任者にするわけです。薪の管理は飯炊きに任せました。それぞれに、そのポストにおける責任を持たせたのです。もちろん、執事は文句をいいます。「女中や飯炊きにそんな仕事は任せられない」。執事は、自分の権限が剥奪されることを恐れたのです。金次郎は、「これは考えがあってやっているのだ。この家の人々は、自己努力をしなければならない。自分自身が経済観念を持って、それを行なわなければならないのだ」と、説得に努めます。そのうちに、金次郎が考えていたような新しい展開がありました。

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