人も金も、嫌う者には寄りつかない

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しかし、経費の節約ぐらいでは限度があります。根本的に財政を改革しなければなりません。「そろそろ借金を解消しよう」ということになりました。当時、服部家には370両の借金がありました。

「これは公務出張に伴う経費の増大による借金である」という理屈で、小田原藩から460両借り、いままでの借金を全て返済しました。残った金は利殖に回し、前に書いた「報徳社」システムで、家来たちに貸したのです。執事は怒ります。「だんな様を金貸しにするのか」いうわけです。「そうだ」と金次郎は答えます。

「金も人も、嫌う者には寄りつかない。金を嫌うな」「金は汚い」などといいながら、多くの者が借金を願い出ました。「期日までに返さなければ、連帯でカバーする」ということを誓約させ、それぞれが連帯保証人となっています。いい加減に借りた者は、ほかの人間に顔向けができなくなり、保証人一同は服部家に顔向けできません。

金はきちんと返ってきました。金次郎は利子はつけません。ただ、「恩に報いよ」と、「報恩」分のこころざしを受け取りました。つましい生活を強いられていた服部家の当主も金のありがたみを知ることになり、足かけ五年で、服部家の財政は立ち直ったのです。  

負債はすべて解消し、300両の余裕金ができたといいます。当主は100両の「お礼」を差し出したのですが、金次郎は、「これも使用人の協力のおかげだから」といって、使用人たちに分け与えてしまったそうです。この服部家の再建で金次郎の名声は上がり、ついには小田原藩の当主から藩の財政立て直しを命じられることになります。

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