人心を失い、金の力を失う法

人心を失い、金の力を失う法

人心を失い、金の力を失う法

注目、称賛、微笑の逆にあるのが、無視と罵倒としかめっ面。この三つは、相手の名誉を汚し、あなたに集まる人の力を失わせます。金の面で人心を失うのは、「勘定高い」ということでしょう。勘定高いのが、悪いのではありません。「勘定高い人だ」「金に汚いやつ」と思われるような振る舞いが、問題なのです。

菊地寛は、ふところから無造作に金を出すふりをして、実は、相手を値踏みしていたはずです。「勘定」はしても、それを気づかせないテクニックがあったのです。江戸城を拡大するとき、家康は、多くの大名に工事の分担を求めました。割当てられた大名は、資材から人夫から、すべて自己調達するのです。

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特に、石垣づくりを割当てられた者は、たいへんな出費でした。遠方から、大量の石を買いつけ、運んでこなければなりません。石垣づくりを命じられた大名は、争って石を買うことになり、その中でも品質がいいといわれた伊豆の石の値段は暴騰しました。

結局、大名たちは、家康に泣きつくことになります。すると、家康は、「では、私が少し石を持っているから、それを分けて進ぜよう」。もちろん、タダでくれるわけはありません。大名たちは家康に金を払い、石を「分けていただく」ことになりました。しかし、家康の城の改築工事のための石なのです。家康はそれを売りつけて、二重に儲けたのですから、これも一種のペテンでしょう。まして、あらかじめ石を買い占めておいたのは、実は家康自身だったというのですから。

大阪の陣のときも、家康は同じようなことをしています。たまたま家康のもとにご機嫌うかがいに来ていて、急な合戦開始に出陣することになった大名たちがいました。まさかすぐに合戦が始まるとは思っていなかった彼らは、武装の用意がありません。急いで武器、武具、馬をそろえることになりました。しかし、旅先のことゆえ、十分な金はない。そこに「救いの手」を差しのべ、金を貸したのが家康です。もちろん、相応の利子をつけて貸しました。

これも考えてみれば、おかしな話でしょう。大阪の陣は、家康と豊臣家との戦いです。「金を出すから、味方してくれ」と頭を下げるならともかく、大名たちを味方につくように仕向けて、その費用を貸し付けたのです。金、あるいは石を貸して、相手に「窮地を救われた」と感謝をされ、「家康公のお役に立った」という名誉を与え、その金でまた儲けたのですから、家康ほど勘定にたけた人間はいないでしょう。そう思わせなかったところが、家康の人徳というところでしょうか。

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