好悪の感情や生半可なプライドはいらない

好悪の感情や生半可なプライドはいらない

好悪の感情や生半可なプライドはいらない

山岡鉄舟は、ある宴席で興にのり、道端の物乞いを「まあ、一杯飲め」と引っぱってきました。杯を重ねるうちに、その物乞いがしたたかに酔って、ゲロを吐いてしまいます。

そのとき、鉄舟は、「諸君、仏飯を召し上がらないか」といって、そのゲロを食べて見せた。「浄さい一如の、迷いを断つ修行」というのですが、これは、いささかハッタリが強すぎるような気がします。

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あるバーのママは、大変評判のよいい女性でした。あるとき、ひとりの客がゲロを吐きます。ボーイが雑巾とバケツを持って飛んできました。しかし、ママは自分がそのゲロに手を突っ込んで片付けたのです。ママいわく、「いきなり手を突っ込むと、汚いという気がしないって、教えてもらったことがあるんですよ。どうせ、あとで手を洗えばいいんですから」

もちろん、私は、「ゲロを片付けるのが人を使うコツだ」といっているのではありません。ゲロのように嫌なやつでも、手を突っ込んでしまう―ということです。自分の意識をコントロールすることによって、できれば、自我の意識をゼロにすることによって、金の力や人の力が得られるのです。それができなかったのは、石田三成でしょう。自意識のコントロールができず、多くの力を失いました。

自分が自我の意識を無にすれば、自我を捨てられない他人の力が得られます。そして、世の中の多くの人は、自我を捨てられない人なのです。つまり、あなたが得られる力には、限りがありません。プライドなどは、ときには捨ててもいい―という意識がなければいけません。人のプライドを持ち上げた分だけ、金と人の力が手に入るのです。下手、下手に出る、頭を下げるには、金はかかりません。生半可なプライドは、「そんなこと、おかしくてできるか」と、人と金の力を得るのを拒絶することになるでしょう。

あなたと他者の間に筒が通っていて、その中に水がたたえられているとすれば、シーソーのように相手を持ち上げた分だけ、金と人が流れてくるというわけです。昔、「武士は食わねど高楊枝」でした。そして、武士は、本当に食えなくなったのです。

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