金持ちほどケチなわけ

金持ちほどケチなわけ

金持ちほどケチなわけ

私たちは、飢えに対する恐怖感を持っているにもかかわらず、ただぼんやりと、「食べられるなら、それでいい」と思い、かつ「成功したい」とも願うというアンバランスさの中に生きています。「成功はしたいが、ケチケチしたくない。少しはぜいたくだってしたい」のです。それは、「快い空腹感」を知らないからではないでしょうか。

良寛和尚は、あるとき、人から「金を拾うのは、うれしいものだ」といわれました。もともと物質欲のない良寛は、「金を拾うなどということが、どうしてうれしいのだろう」と思い、自分の銭を道に放り投げて、拾ってみました。もちろん、少しもうれしくありません。「はて、どうにもわからん」と、また銭を放り投げます。

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何度かやっているうちに手もとが狂ったのか、放り投げた銭がころがって、草むらに入ってしまいました。「これは困った」と思ったでしょう。草をかき分けて、銭を探しますが、なかなか出てきません。そして、ようやく見つけたとき、「なるほど、金を拾ってうれしいとは、こういうことだったのか」と納得したそうです。良寛らしい浮世離れした話ですが、私たちも、いざというときにならないと、なかなか金のありがたみには気づかないでいるのかもしれません。

しばしば、「成功した金持ちはケチだ」といわれます。たとえば、ニューヨークでは、夜七時をすぎると、それまで15ドルだった映画館の入場料が10ドルになるという割引があります。すると、六時半ごろ、億万長者が・・ただの金持ちではありません、億万長者が「あと20分、あと20分」と映画館の前で待っているのです。そして、彼らは、概して粗食です。もともと、たっぷり食事を味わう時間もないのでしょうが、昼飯などはホットドッグぐらいですませてしまいます。どうしてこんなに「ケチ」なのでしょう。1ドル、2ドルの金も惜しんで、金を貯めたいのでしょうか。そうとばかりはいえないところがあります。

彼らは、金持ちになっていく過程において、不安もスリルもあって、少しのお金も大事に使っていたはずです。金のありがたみは、嫌というほど知らされています。若いころから、決して浪費はしなかったでしょう。「金を失ったら危ない。ムダにはできない。その金を資本にすれば、また儲かるのだ」という緊張感や空腹感の中に暮らしていたのです。これは、彼らにとって快い緊張でした。それを「快い」と感じるような人間だからこそ、一代で財を築けたのだともいえるでしょう。

それが功なり名遂げて、ビルだの別荘だのの二つや三つを建てたころから、気持ちがゆるんで、精神状態も健康状態も危なくなる。彼らは本能的に、緊張感が必要だと気がつきます。「昔は一生懸命やっていたではないか」。その緊張感を忘れないために、映画館の前で待つのではないでしょうか。気持ちの張り合いを保つために。ケチであるのは、金のありがたみを知っているのは、いまだに上昇過程にあること、若々しさを保っていること・・という意味もあるのです。

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